音楽的な自由を求めて~愛が道を拓く暇に飽かして、音楽的に自由になるとはどういう状態を言うのだろうかと、ちょっと考えてみた。発展途上ではあるが、これがその一考察である。まず、基本的に、時間が適当にあること。次に、表現したい対象が絶えずあり、それを表現する資質(技術と発想の活かし方)があること。があげられるだろう。 そして、伝統的音楽を良く理解していることが重要だろう。それは無から有は生まれないからだ。歴史的遺産の上にすべて成り立っているのであって、決して突然変異で生まれたものなど無い。すべて何らかのつながりと影響を与えあいつつ、模倣という形から新しいものが生まれて来たのだ。 さて、最低限の基本が揃ったとしてどう自由になろうか? たとえ、技術があっても自分を自由に表現することのできない人もいるのだ。 すべては、Balanceの上に成り立っている。 それは、自分を縛っているしがらみから自分を解き放つほかないのではあるまいか? 何も考えない境地で何かしらでも実行できれば理想的だ。 音楽の天才でもない限り、一般人は、ない頭をしぼって考えるしかないのかもしれない。 しかし、本人の真摯な心掛けによっては、諦めず少しづつでも精進すれば、不可能も可能にできるかもしれないのだ。 誰にも産みの苦しみはあるのだが、そこで楽しみながらできるかどうかで音楽生活の実態が将来的には変わってくるだろう。 発想、創作、発表する機会に恵まれれば自ずから道は拓けるのかもしれない。 やはり、何事もLife Worksとして、様々なことを体験し、感動することが自由になる道標だと信じたいのだ。 そこに人や自然に対する愛情があればこそ美しいものも生まれるのだ。 今の私の答えは、音楽もまた人生と同じ生きざまなのであった。 これを奥さんをなくされたJimiさんに心から捧げたい。 あなたの愛が奥さんの御霊を供養しあなたも癒されますように....。 人によっては、生きながらも死んでいる人もいます。 でも、亡くなってからも生きている人がいるじゃないですか? 私たちが、亡き人に思いを馳せ、愛を失わずに自分に正直でいる限り 自分の愛する大事な人がそばで見守りともに歩んでくれていると信じたい。 自分を精一杯愛して大事に扱いましょうよ。 それが亡き人に報いる道でしょう。 合掌 ジャンル別一覧
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